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    平等観の変化を受け入れる

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    女性の社会進出など、マイノリティーの社会参加機会を作ることは理念としては好ましいこととは言いながら、事実上多くの女性は、支えきれない家計を守るため、また、家族構成の変化によって働かざるを得ないという面もあります。

    日本人の平等観も変わってきていると思います。機会均等が謳われて久しいですが、機会の平等とは、裏返せば結果についての格差は容認するということに他なりません。総論としては賛成でも、多くの人はこの事実に当惑しています。

    現実には長い間、組織内部で個人が目立つことは常に否定的に捉えられてきましたし、拝金主義や、自分の利益だけを追求することは倫理的にも悪であるという通念がありました。現状のような能力主義的な給与や報酬格差が認められるようになったのはごく最近です。今まで、日本的経営、制度はむしろ世界で最も社会主義が成功している事例だと揶揄されるほど成功していたのです。

    ところで、日本の古きよき伝統、終身雇用、年功序列という制度が疲弊した背景には、ひとつには外的圧力としてのグローバルスタンダードという実しやかな謳い文句に乗せられた企業の体制崩壊があります。日本人は働きすぎだ。長時間労働は美徳でもなんでもない、公正な競争を妨げている、といった欧米流の倫理観を突きつけられ、日本人は迷ってしまいました。

    ところが実際には当の欧米では、確かに最下層の一般労働者については7~8時間労働が基本で、日本のようにサービス残業だ休日出勤だというような観念は持たないと言えるかもしれませんが、時間が短いといってもその内容は比較にならないほど濃密で、日本のように拘束時間中も比較的自由にくつろいだり休んだりできる雰囲気ではないようです。

    また、いわゆるエグゼクティブ、管理職層はむしろシビアな競争原理の中で過酷な状況に晒されることが当然に受け入れられています。まさに24時間勤務に等しいのです。つまり、言ってみれば欧米は日本よりも階級的な社会だっただけなのではないでしょうか。

    そもそも、欧米が日本の労働環境を批判するのは、何も「働きすぎの日本人を過重労働から解放してあげよう」ということではないのです。それは、端的に言って日本の国際競争力を抑えるためです。

    要するに、どう取り繕っても結局、格差社会=階級社会です。この現実を変えられないなら、少なくとも私たち個人個人は、どのように生き、どのように働くかということを自分で決定しなければなりません。また、これからの社会の動きを自分でしっかりと見定めなければならなくなったのです。

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