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    良心的資本主義から市場原理主義へ

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    たとえば、会社雇用している労働者を最大限尊重し、守ってくれるものだとか、一生面倒を見てあげようと思って、少なくともそう努力してくれているとか、そういった期待を持つことは危険だと誰もが感じています。

    それはまだ、たいした問題ではないかもしれません。もっと切実だと思うのは、今までは当然だと考えられていたような職業観、倫理観が期待できなくなったことです。これはかなり悲劇的な事実です。

    今や警察は正義の味方ではなく、医者は聖職ではなくなってしまいました。教師は公務員に過ぎず、官僚は国民の下僕どころか国のお荷物ではないか・・・特定の個人を中傷するわけではありませんが、地位や肩書きが、その人の人間性や人物的評価と密接に結びついているという幻想が崩れてしまったことが大きな問題なのです。

    その手の事件を取り立てて見せるマスコミも問題ですが、それも同じことで、今やメディアにジャーナリズムはなく、知識人に「見識」を求めることもできません。

    こうなると、セキュリティーやリスク管理をすべて個人の努力で行わなければならないわけですが、それにはコストがかかります。

    すると、全体的に、個人にとっての「経済」の重要性が増してきます。つまり、たとえば今までは割りと「お金の話」に消極的だった人々も、危機回避的な意味で市場に参入せざるを得なくなるわけです。本来、あまり野心的でなかった人たちまでもが、経済的な成功に傾倒し始めるわけです。

    いつの時代も、野心家はいましたし、成功者と失敗者がいました。ただし、今ほど「国民的に」経済的成功という価値観が優位を占めている時代はないのです。これは、おそらく他に選択肢がないからです。

    同時に、そもそも許される「最低ライン」が否応なく上がってきているのです。「私は、お金にそれほど執着していない」という人がよくいますが、そういう人たちは大体「ふつうに生活していければいい」と言います。しかし、問題なのは、それが深く考えた上での決意を述べているのではなく、実際にはその「ふつうの生活」というのは「必要最低限で満足する」ことを意味していないのです。いまや「ふつうの生活」をするのはかなり大変なことです。

    表面的には格差社会に移行しつつあるという現実の中で、しかし人々の心理は実はいまだに「一億総勝ち組」を志向している。そして、その有力な方法論は良心的職業観、性善説的労働観を捨て、市場主義のゲームに全員参加することだ、と何となく思っている。

    それだから、フリーターやニートと呼ばれる低所得の若年層がむしろ現在の自由主義的な政策を支持するわけです。

    さて、この流れの中で、あなたは何を選び、何を捨てなければならないのでしょう。

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